姿勢を整え、日常の質を変えるBodywork縁のブログ

青森市でピラティスやヨガ、運動療法、各種トレーニングを組み合わせたセッションとカラダの基礎を作るグループレッスンを行っているBodywork縁のブログです。

気づきのシェア 脇について

 

前回は首と頭の関係についてシェアしました。

 

記事はこちら。

bodyworken.hatenablog.com

 

片頭痛などは

頭に最初からアプローチするより

首の血管の通り道を作ったほうがよかったりします。

 

 

さて、今回は脇について。

 

首を整えようとして首から行って上手くいく方と

上手くいかない方がいたりします。

 

その違いは何かというと

土台になる

肋骨、胸椎、肩甲骨、鎖骨が安定してるかどうかで変わります。

 

土台がぐらつくとやはり上もぐらつきます。

 

マンションの上層階が地震の時よく揺れるように

身体も下の土台が安定していないと

上がぐらぐら揺れる揺れる。

 

それを眩暈として感じる人がいるくらい土台の安定性は重要になります。

 

さてその胸当たりになるのですが

それを安定させるキーワードの一つが

脇だったりします。

 

脇は毛細血管が集まっているところ脇~!

 

www.youtube.com

 

とネタでもいっていますが

大切なところで

 

リンパも神経も、血管も通っています。

そして筋肉もいろいろついていて

兎に角大切になります。

 

その脇ですが

個人的には

”隙間が空いている感覚”

が重要で

 

脇を感じることが肩の力をうまく抜くヒントになったりします。

 

無意識で力が入ってる方も多くてそれが慢性的な肩こりの原因だったりしますよ。

 

 

また脇が固まると呼吸も浅くなるので定期的に広げてあげることが大切です。

 

 

手を上に伸ばして、気持ちよく脇を伸ばしましょう~

 

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まずはそこから

 

そのあとに脇の隙間を感じ

肩甲骨と鎖骨を意識していくと

手の末端に気脈が流れるのを感じます。

 

それを感じた時点で首も楽になっているはずです。

 

脇を感じて過ごしてみるのもいいかもしれません。

 

気づきのシェア 頸と頭の関係 

 

ブログ更新しようとしたら

更新しないまま時間が経っていました。

 

今回は最近の気づきのシェアです。

 

 

最近

頭と頸の関係について気づきがありました。

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今までも

ラニオや個人セッションなどでも頭と頸の領域にはたくさん

アプローチしていました。

 

改めて再認識したのは頭の領域を行う前にやはり頸が大切ということ。

 

頸の流れが整った状態で頭に介入するのと。

整っていない状態で頭に介入するのは天と地ほど差がある。

 

 

自分自身の身体で幾度と実験してみたのですが

セルフクラニオを行う時に

頸を整えてから行うと深い領域に入っていくのですが

 

頸を整えないで行うと浅い領域から開始になります。

 

体感としては頸から繋がる筋膜に塞がれて

本当の深い領域に入っていけない感覚です。

 

 

ラニオや個人セッションでもそうですが

クンルンのワークでも同じことが言えるのではないかと思います。

 

頭の領域にアプローチするときは

まず頸の土台が大切で

そこがないがしろになってしまうと

 

エネルギーが下がらない

想像上の深い領域にアプローチしている

顔が火照る

偏頭痛がする

 

などが起きてくるようです。

(個人的な体験談として)

 

そんなこんなで最近は頸に意識を向けて生活しているのですが

頸がニュートラルになると

ハートが軽くなることにも気づきました。

 

解剖学的にいっても

中経筋膜というのが心臓を上から釣っているのですが

頸の位置によって筋膜のテンションが変わるんですよね。

ニュートラルになると確かに筋膜の負担が少なくなります。

 

となるとハートが重くなったり、軽くなったりするのは

頸というのがすごく深く関係していきます。

 

そして頸に関してもう一つ欠かせないのが

脇の感覚。

脇と頸はセットで考えないといけないな~と思う今日この頃でした。

 

またの機会に脇のことを触れてみます。

 

人生は楽しみで溢れている!

 

 

毎日変わる日々を意識して過ごしてみると

なんだか楽しくなってくる。

 

気温、雲の形、空の色、湿度、気圧

天気も常に変わっているように

 

物事すべてが日々変化している。

 

 

その一瞬一瞬を感じて過ごしていると

呼吸が自ずと深くなっている。

 

呼吸とともに意識もピュアになっていて

なんだか幸福感が内側から満ちてくる。

 

 

一瞬一瞬を感じるシンプルな方法は

『歩くスピードをいつもより遅くすること』

 

すると気づきが増えてきます。

ゆっくり見渡してみるとこんなにいろいろ変化しているのかと

アハ体験のように見えてきます。

 

 

 

毎朝声を出して

どんな声が出ているのかを感じる。

気功を行って気の流れを感じる。

ボディーワークを行って躰の状態を感じる

クンルンを行って全身の流れを感じる。

 

詰まっているところ

流れているところ

日々躰も変わっている。

 

 

そうやって意識し始めてから

躰の変化は早くなった。

 

 

過去の自分は

キツイことをしないと躰は変わらない。

という固定観念を元にトレーニングに励んだりもしたけど

やっぱり納得できなくて

 

今では逆に

キツイから変わるというわけではなくて

些細な変化に気づくから

躰が変わっているということに気づいた。

 

それは躰だけでなく

人間関係、仕事も、植物も車でさえも

 

全て毎日変わっていて

そこをふと感じてみると

 

今まで流れなかったところまで意識が広がると同時に

捉え方も感じ方も変わってくる。

 

 

あとどの位の時間をかけてこの地球を感じられるのだろう。

今からどんなことを感じるのだろう。

楽しみである! 

 

走って膝が痛い ~個人セッション報告~

 

今回は個人セッションの報告です。

今回のテーマは”走る”

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良い走りっぷりですね~

 

【走ると膝が痛くなる】

 

という症状に対して

アプローチしていきました。

 

なぜ痛くなるかというと

膝のクッションを上手く使えないことが原因として考えられます。

 

それは膝の向きが原因で

膝が内側に入ると関節の構成上支えられない状態になります。

それで負荷がかかり続けることで痛みが出るということはよくみかけます。

 

だからといって膝の向きを闇雲に変えようとアプローチしても

実際のところ意味がありません。

 

動きというのは一瞬一瞬の

脳からの指令と躰と脳間での調整で成り立っているので

膝の向きを気にして

動き続けるというのは

脳にとって非効率になります。

 

これが意識しているときは良いけど

無意識になるとまたフォームが崩れるということになります。

 

そもそもなぜフォームが崩れるかというと

何かの感覚を無視して動作を行っているからなんです。

 

躰は全体で一つなのであって

支えているのにその感覚を無視して動けば

他のところで補う活動が起き

それが継続することで負荷が増えていき痛みとして脳で感じます。

 

そのため、個人セッションでは

どの感覚が抜けているかを見極めて

動いていきます。

 

今回のお客様は、

足裏の感覚が抜けていたので

足裏の感覚、推進力を作るコツに対して

アプローチしていった結果

50分のセッションで

 

走っても走っても痛みがない状態になりました~

 

その後調子を聞いてみると

 

・スピードを上げて走っても痛くない

・同じ距離を走っても疲れづらくなった

・走るのが楽しくなった♪

 

と感想を受けています。

 

最後の楽しくなった!

というのが一番良いことで

 

『動くのが気持ちよく、そして楽しい。』

 

と感じるのが躰にとって一番良いことだと思います。

 

日常は動くことばかり

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よろしくお願いいたします。

クンルンネイゴンレベル1 in青森

 

10月14日は裕也さんに

青森で

クンルンネイゴンレベル1の

ワークショップを行っていただきました。

 

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・イージョン

クンルンネイゴンレベル1

・シークレットマントラ

の3つのシンプルなプラクティスですが

 

 

目から鱗の情報が多々散りばめられていて

私自身リテイクでしたが

一番楽しんでいました。

 

 

より感じたのは

座学ではなく

『行から学ぶ』ということです。

 

 

多くのワークショップは

知識をたくさん知ってもらって

ワークを体験して帰るという形で

知識⇒体感

という内容を多く感じます。

 

 

クンルンの場合は

行の中にいろいろな叡智が隠されていて

行⇒知識

という流れが大切なように感じます。

 

 

言葉で語りづくものではなく

行から学ぶもの。

 

古代の壁画から学ぶ

彫刻から学ぶ

ように

行から学ぶ。

 

 

 

だからこそ

言葉で表現するのが難しいし

浅く理解すると簡易的な体操にもなってしまう可能性がある。

 

だけど掘り下げていくと

途轍もない叡智の結晶がある。

そう感じるワークショップでした。

 

去年初めてクンルンを学んだ時は

たくさんのワークを浴びるように体験し

様々な発見がありましたが

今回3つ+幾つかの

行を行う中で

シンプルが故の奥深さを感じました。

 

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ブログ書きながら思ったことは

そもそも物事って言葉が先ではないということ。

 

自然から学び、陰陽五行を作ったように

体感して解釈する一つの手段としての言葉なんだと。

 

これを深めていったら

どんな世界が見えてくるのか楽しみです♪

 

裕也さん青森に来てくださりありがとうございました!

そして県内外からワークショップに来ていただきましてありがとうございます。

来年も面白い内容で開催予定です~

お楽しみに~

 

paurosa.com

ポーズを上手くなることが目的ではない ボディーワークの目的とは?

 

Bodywork縁で提供しているボディーワーク。

 

何種類の動きがあるかというと無限にあります。

レッスンを行う度に増えていてアイデア次第で100個にも1000個にも10000個にも

増えます。そもそも1000個以上は今の段階でもあります。

 

だからすごいだろ~とかそういうのはどうでも良いのですが

数があるからすごいなどはナンセンスですし。

 

そんだけ数があるのは

人の動き方というのは無数のパターンがあるからで

どれが良いなどというものも厳密にはないです。

一人一人骨の長さ、大きさ、重さ、密度も違いますし

筋肉の大きさも、強さも、耐久性も

筋膜の繋がり方も

血管の走行も神経の走行も

内臓の強さも

構造だけでなく生活習慣、今までの教育の受け方、スポーツ歴、遺伝

すべて異なるため

万人の動きがこれだと良いというのも正直な話ないです。

 

ですがこの動き方をすると躰を痛めるというのは確実にあります。

そのためボディーワークを提供する時は痛めない動き方というのを伝えています。

 

 

ボディーワークではムーブメントだったり、ポーズだったりを使用したりもしますが

それらを上手くなることは第一目的ではないんです。

 

巷でヨガのこのアーサナを上手くなりたいという話がありますが

個人的にはそれも良いとは思いますがそれ以前にどういった目的で?

というのがないと端的にいうとただのアーサナが上手い人になってしまいます。

 

写真で綺麗に映りたいというのであればそれはそれで良い目的かと

思いますが

多くの人は日常を変えたいとか不調を改善したいという方が多く

上手く取れても日常でそんな動き使わないよ~というのが多々あります。

 

下に置いてある物だからといって

シルシアーサナを使って組み立てるなんで絶対にしません(笑)

 

健康に生きるための手段としてのボディーワークなので

人と比べることも無意味です。

人と躰の作りも全て違うので自分より柔らかい人がいれば柔らかいな~で

硬い人がいれば硬いな~というものです。

憧れを追求していったらきりがないんですよね。

私自身も誰よりも動けるカラダへと思って3年前くらいはひたすらに

追求していましたがこれも出来るようになった!これは出来ない。

できるようになったけどあの人の方が動ける。悔しい。

何に挑戦しているの?ということになります。

 

勝つことを目的とするスポーツでは相手に勝つというのは大切ですが

ボディーワークは誰かに勝つというより自分自身と向き合うのがボディーワーク

ということに2年前くらいに気づきました!

気づくまで時間かかった~。ですが気づいたから伝えることができます。

それも大切な学び期間でした。

 

それを理解すると嫌な人であっても敵とかではないんですよね。

なぜ嫌だと思うのかを教えてくれる教師であり

それをきっかけに自分と向き合うとその感情もまた会う時には変わっていたり

します。

だから現在嫌だな~と思う人は正直いなくなりました。

今後出るかもですが(笑)

でたらなんで嫌なのかを考えるきっかけになるので良い出来事なんだな~と

思います。

 

まとまりなくなったのでおしまい。