丁寧に過ごす先に待っているもの
ここ1ヶ月の気づきの一つに
『丁寧さ』
がある。
丁寧という言葉が
昔はなぜか嫌いだった。
昔というよりここ最近まで嫌いでした。
なぜ嫌いだったかというと思い返すと
小学校でやらされた書記係りがきっかけ。
小学校に入る前から書道を習っていた私は
小学生になって当たり前のように
丁寧に字を書いていたら
綺麗に字を書くからという理由で
無理やり書記係りにされ
休み時間みんなが外で遊んでいる中
書記係りの役割をしなくてはいけなかったり。
前に立って字を書かされたり。
そんな鬱憤がたまってたまって
丁寧に行う ⇒ やりたくない役割をまわされる
という思考回路が出来ていたんだと思う。
だから丁寧に行っているとなぜか周りが気になってきて
何か悪いことが起きるのではないか?
と不安になったりもした。
ここ数年はたまたま縁があり
様々なプロフェッショナルな方に出会えて
丁寧な作業に心を打たれて丁寧だから心が篭るんだな~と
深く感じるきっかけがあった。
プロフェッショナルはなぜプロフェッショナルなのかというと
自分の納得のいくように行う技術があるからなのだ。
そして自分のペースで納得いくように行うということが丁寧に行っているように
傍からみると見える。
だけど丁寧に気をつけて行っているというより
自分自身の軸があってそれにあうように行うことが心地よいんだと思う。
だから自ずと丁寧になる。
自分が一番ストレスが溜まるのが
自分のペースで行えなくて全てが中途半端になってしまっているときだと
最近気づいた。
やるからには自分が納得する形で何事も行いたい。
そのために時間の使い方も最近変えたら
ストレスフリーで生活しています。
『何事も丁寧に。』
昔から母に言われ続けてきた言葉が最近になって腑に落ちた。